創業者インタビュー

  • 2015/08/19 UP
  • category:医療、福祉
"医療面から東京五輪に貢献したい"

株式会社C&T(前橋市)  代表取締役

瀧澤 清美

http://www.c-and-t.co.jp/

事業紹介 創業のきっかけ 事業が成功した理由 失敗から這い上がった… 座右の銘 
将来の夢、志  これから創業に挑戦す… 
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  • 事業紹介

 株式会社C&Tとは、コミュニティーアンドテクノロジーの会社です。私どもは、聴覚言語障害者や日本語を話せない外国人の患者さんに対して、医療通訳の支援サービスを提供しています。

 サービスは、主に3つあります。まずは、スマートフォンなどのアプリによる通訳支援です。次に、人による通訳支援としまして、遠隔医療通訳コールセンターによる通訳サービスがあります。最後に、ウェビナーというインターネットを使ったセミナーを提供して、医療通訳者の育成を行っております。

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  • 創業のきっかけ

もし、言葉の通じない国で倒れたら…

 最大のきっかけは、私が3年前に心筋梗塞で倒れたことです。私は幸運にも日本語の通じる国内で倒れましたが、これが日本語の通じない海外で倒れていたら、医療従事者に状況を伝えることができないために適切な処置が受けられず、おそらくこの世には戻ってくることができなかったことでしょう。

東京五輪でも安心した医療の提供を

 群馬県には、たくさんの外国人の方がいます。現在、日本にいる外国人の方はもちろん、これから2020年には東京オリンピックが開催されるにあたり、2000万人とも言われる外国人観光客の方々が来日され、病気になった時にでも言葉の壁を乗り越えて、安心できる医療を提供したいと考えました。

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  • 事業が成功した理由

3つの強みを融合した事業を展開

 私は、3つの肩書を持っています。NPO法人の代表としての私、群馬大学医学部の産学連携研究員としての私、そして会社の代表取締役としての私です。NPO法人の代表は市民に寄り添った目線を、群馬大学医学部の産学連携研究員は医学の知識を私に与え、それを社会にどのように経済的に還元していくかということで、C&Tという会社があると思っています。これが私の強みだと思っています。それぞれの活動の中で得た経験や考え方を、事業に活かしています。

 

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  • 失敗から這い上がった経験談、苦労から学んだ経験談

中学生で1か月意識不明の大事故…

 最初のつまずきは、浅間山荘事件があった年ですが、13歳だった私は大きな交通事故に遭いました。全身打撲により1か月間ずっと意識不明で生死の境をさまよった経験が、最初の挫折になります。このため、私は中学校に4年間通い、とても苦労しました。

 

パソコンオタクとしてIT業界へ

 インベーダーゲームが流行っている時に、専門学校に通いながら、ゲームのプログラマーをすることでIT業界に関わりを持ち始めました。やがてカシオ計算機のシステムエンジニアとして12年間勤め、いわゆる「パソコンのオタク」として、ITについて深く学んでいきました。

 その後、33歳で独立し、ITコンサルタントやシステム開発、データサービスなどの事業を行ってきました。しかし、その会社は2000年に廃業することになりました。

 

中越地震からIT活用の必要性を

 ITを活用した街おこしのために、客員研究員としてNPO法人に所属していました。

 今でいうSNSのような仕組みを開発し、主に新潟県長岡市などで、この活動を行っていました。新潟県中越地震が発生し、長岡市も甚大な被害に遭いました。その時に同様な仕組みが、被災した方々との情報交換や必要な支援等の確認など、災害医療の現場において、有効に活用されていることを目の当たりにしました。このことを契機に、今後は積極的にITを活用した医療支援で何かできないかと考えるようになりました。

 平成15年に厚生労働省の委託事業「地域連携推進事業」を受けて、現在代表を務めておりますNPO法人「地域診療情報連携協議会」を立ち上げました。ここでは、市民と医療の架け橋的な活動を中心に行っています。

 

医療を学び、多言語の課題に直面

 そこから私は、群馬大学で医療を学ぼうと思いました。はじめは、予防医学を学ぼうと思っていましたが、修士論文では医療における多言語の課題について論じました。ここで医療研究者である私、ITに関する知識や技術を持っている私、NPO法人として地域や市民の皆さんの生活を知る私という、今回の創業に関して必要な土壌ができあがりました。

 

生死の境目から言葉の壁を乗り越えるために

 私は中学生の時、そして3年前の心筋梗塞と二度の大病を患い、実際に生死の境目をさまよいました。偶然、私は二度とも日本語が通じるところで倒れたため、日本語で医師と意思疎通ができ、迅速かつ適切な治療を受けることができました。しかし、これが言葉の通じない外国で倒れていたら、私はどうなっていたでしょうか…。

 痛みや苦しみを医師に伝えることができず、医師もまた患者のどこが悪くてどのように治療したらいいか分からなかったことでしょう。そのような言葉の壁さえ取り払えたら、日本人が外国に訪れた時、逆に外国人の方が日本に訪れた時、万が一病気やケガで医療を受けることが必要になった場合、きっと適切な医療をすぐに受けることができるでしょう。

 しかし、私が創業を思い立った時、その仕組みはありませんでした。であればと、私のITでの知識、さらに新潟県中越地震などで得た現場的な教訓を踏まえて、その仕組みづくりに取りかかりました。

 

身体障害者として、社会起業家として

 また、私は心臓疾患に伴う身体障害者でもあります。私を含め、多くの障害者の方々は、社会的に窮屈な生活を余儀なくされていることが少なくありません。しかし、私は身体障害者でありながら、社会起業家となりました。私が社会起業家として活躍することは、医療的な側面で救われる方がいると同時に、多くの障害者の方々に対するメッセージになるとも考えています。

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  • 座右の銘

「失敗は、諦めるから失敗であり、諦めなければ失敗ではない」

 

 失敗は途中でやめてしまうので、失敗になります。けれども、諦めなければ失敗にはならないのです。

 私は、今やっていることを10年間こつこつとやってきました。ようやくそれが形になってきました。その間にはいろいろな困難や課題があり、心筋梗塞で生死の境をさまよったこともありました。しかし、私は諦めませんでした。だからこそ、諦めないことが大事です。

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  • 将来の夢、志 

適切な医療のために言葉の壁と闘う

 医療現場において、言葉の壁をなくすことにより、助けられるべき命を助けたいのです。言葉さえ通じることができれば、現地の医療スタッフにより、適切な医療を受けることができます。これによって、助けられるべき命を多く助けることができるでしょう。

 

医療面から東京五輪に貢献したい

 2020年には、東京オリンピックが開催され、日本を訪れる海外の方はさらに増加するものと思います。私には医療関係者として、市民として、そして起業家としてのアプローチができます。これを最大限に活かして、海外の方が安心して東京オリンピックを観戦しに訪れてくださるように努めていきます。

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  • これから創業に挑戦する人へ一言

諦めないことです。

 

 私は3年前の心筋梗塞の結果、障害者となりました。自らが障害を抱えることによって、これまでは見えなかった社会の課題、問題というものがよく見えてきました。

 創業の中にも、今は「社会起業家」という言葉があります。「社会起業家」とは、社会が抱えている問題に対して、事業を通してその解決を図る起業家です。もちろん、ビジネスを起業することも選択肢のひとつではありますが、社会のためになることを興すということも、創業のひとつの選択肢になると思います。

 また、私のように障害者であっても、起業することができるのです。このことを、今後一人でも多くの皆さんにお伝えして、障害者の方でも起業を目指す方、社会の問題を解決するために起業を目指す方が増えてくれたらと願っています。

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